ゆーたろのこと

 5月最後の記事を読んだ・・・とたくさんの方がメールをくださいました。
 このまま頑張ってねというメール、ゆーたろが回復しますようにというメール、5月の毎日ブログを更新したことにエールを送ってくれるメール・・・。

 いっぱい、いっぱいありがとうございます。

 そして、今まで断片的に書いてきたことをもうちょっと具体的に書いてみようと思いました・・・。

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 ゆーたろが抱えている「アスペルガー症候群」と併発してもっている「ADHD(注意欠陥多動性障害)」。

 アスペルガー症候群は3歳までに言葉の遅れがないタイプの自閉症のことで、結局は自閉症です。

 この自閉症は、医学亭には3つ組の障害と言われていて、

 ・社会性の障害
 ・コミュニケーションの障害
 ・想像力の障害

 この3つが揃ったら自閉症です。
 3つ揃った場合へのアプローチも医学的には確立しているのだそうです。

 一つ一つを紹介しいくと日が暮れてしまうので・・・

 小さい時のゆーたろがどうだったかというと、記憶力は抜群で大好きなウルトラマンシリーズ、ミニカー、全て名前をあっというまに覚えました。
 今でも、カタカナばっかりの外国のサッカーチーム、選手の名前、いつの試合で誰がどうしたとか完璧に言えます。
 野球も好きで、ピッチャーの防御率、バッターの打撃率なども暗記しちゃいます。
 でもその反対に「想像力の障害」があるので「ごっこ遊び」が苦手でした。
 ミニカーやウルトラマンは並べるばかり。
 そこに道がなければミニカーを走らせることはないのです。

 またコミュニケーションの障害があるので、「人を道具として使う」ことも多くあります。
 一応「ウルトラマンごっこ」もしましたが、私のセリフはいつも指定されます。
 「臨機応変」が苦手なので、私が好き勝手言うことに対して対応して遊ぶことが苦手でした。

 でも、ゆーたろが診断ついたのは高校にはいってからです。
 小さい時は全くそれが変わったことだとは私は思いませんでした。
 一人目だったし、友達の子は女の子ばかり比較することがなく過ごせたからです。
 でも、赤ちゃんの時はすっごく泣くし、神経質だったし、大きくなってきても洋服一つにもすごくこだわり、嫌なものはかたくなに譲らないことが多く、大変だったこともいっぱいありました。

 ただ、保育園でも小学校でもとっても先生に恵まれたいたので大きな問題はなく過ごせていたのだと思います。

 でも、「ADHD」を併発しているので、

 特に忘れ物やなくし物が多かったです。
 ひどい話ですが、ランドセルを背負わずに学校に行ったり、ランドセルを背負っていっても中身がからっぽだったりはしょっちゅうでした。
 家の鍵は何十個なくしたかわかりません。

 小学校で一番苦労したのはここだったと思います。

 忘れ物が頻発するとどうなるかというと、いろんな学習への参加がみんなと一緒に出来なくなります。
 友達に借りることも多くなると自信も意欲も低下していきます。

 そんなことが続いて2年生の頃は「チック症」になりました。

 のどを変な音で慣らしたり顔や目がパチパチするんです。
 その時に私は自分の親に、

 「お前の育て方が悪い。」「仕事ばかりしてるからこうなったんだ。」とか散々言われました。
 最初に「母親悪者論」です。

 友達に紹介してもらったお医者様、結果的にはそこから7年後にその先生に診断をされるわけですが、当時は「赤ちゃん返りかな」と言われました。
 心理検査も受けましたが、ゆーたろは色んないやなことがあっても外へ向けれないタイプ。
 全部自分のせいにしちゃう面がある。
 だからもっと発散させるようにしようとスポーツをすすめられました。
 それが野球をするきっかけだったのです。

 ゆーたろは運動神経はすごく良く、しかも野球は防御率・打率まで徹底的に覚えるぐらい好きだったので楽しくて仕方がなかったようです。
 運動で発散して、元気いっぱい、多少勉強なんか出来なくてもいいやというのが小学校の時の私の思いでした。

 小学校は行事も多く、特性からくる困難さで色々あっても「なんとか切り替える」きっかけが多くあったのだと思います。
 でも中学に入ると全くそうはいかなくなりました。

 初めての家庭訪問で私はひっくり返るぐらいビックリしたんです。
 ゆーたろの悪いことを30個ぐらい言われたからです。

 落着いて席に座っていない、授業中におしぇべりする、それも遠くの席の子とと話す、教室移動が出来ない、・・・もちろん忘れ物、提出物の多さ・・・もう本当に30個ぐらい言われたのです。
 私は先生に言いました。
 「病院に連れていったほうがいいでしょうか?」と。
 でも先生は「ボクはそんなことは言ってません。」という言い方でした。

 でもでも、なんとか野球に支えられ、なんとかやっていました。

 でも、その野球も人間関係でうまくいかなくなりました。

 「想像力の障害」というのは「こんなことを言ったら嫌われる」ということにも想像が働かないことになります。
 「暗黙の了解」というのを理解しづらいということです。
 なので、友達が悪さをすると何も考えずにそれを先生に言ってしまう、万引きした友達にとことんダメだと追求してしまう。

 ようは「空気が読めない奴」になるわけです。

 それで野球仲間とうまくいかなくなり途中でやめてしまいました。

 高校は野球で推薦!と思っていたので「さて、受験はどうしよう?」とあせりました。
 そんなときに車で30分以上かかる場所にいい塾があるとすすめらて、週に3回通わせました。
 あの頃はパパも私もまだ若くて体力あったなと思います(笑)

 それでなんとか学力をつけて、高校に進学しました。
 この高校に進学したからこど、いい先生にめぐりあえ、障害もわかり今のゆーたろがあります。
 野球をやめたときはすっごく悔しかったけど、やっぱり無駄なことって人生の中ではないんですね。

 ゆーたろはせっかく希望の高校に入ったのにすぐに適応が悪くなりました。
 週に1回は体調が悪くなり、早退・遅刻・欠席のどれかをします。
 病院に行ってもどこも悪くないと言われます。

 そのうちお菓子の過食が始まりました。
 お菓子ばっかり食べるんです。
 ゲーム、ネットばかりするようになりました。
 顔色も悪くなりました。

 何度か私はお菓子のクズでいっぱいになったゆーたろの部屋を泣きながら片付けたこともあります。
 何が悪いんだろう、なんでこんなふうになるんだろうと訳がわからずにいました。
 そのうち学校から勝手に帰ってくるようになりました。
 先生は心配して電話をくれます。
 中学の先生と全く違ったのは、そういうことがってもゆーたろを悪者扱いしないことでした。
 中学では何か問題があると「またゆーたろ?」という雰囲気があったのですが、高校の先生は「とにかく心配なんです。」と言い続けてくれました。
 
 夏休みが終って二学期が始まっても変わらなく、そんなときに私はまた言われたのです。
 自分の親に「お前がおかしいからゆーたろもおかしいんだ。」と。
 「育て方間違ったな。」
 「何考えてんだ?」・・・と。

 パパも私も一生懸命やっているつもりでした。
 人並み以上に働き、人並み以上に周りに気を使い、必死に生きているつもりでした。
 ゆーたろにだっていっぱい叱りました。
 しっかりするようにと願いました。

 もう限界だなと思い、嫌だったけど精神科に行くことを決めたのが4年前の8月でした。

 4件の病院を周り、どこもピンとこなかった時、恥をしのんでパパの知り合いの先生のところへ行った時でした。
 「お母さん、アスペルガー症候群て知ってますか?」と言われたのです。
 私はなんとなく調べていたのですが、「知ってますけどゆーたろは自閉症じゃありません。明るくいい子です。」と言いました。
 自閉症=自分の殻に閉じこもる暗い病気」というイメージが強かったからです。

 でも、一つ一つ説明を受けていくうちに「え?ゆーたろのこと言ってるの?」と思うぐらい症状が似ているのです。
 似てるというかゆーたろそのものでした。

 そして、ゆーたろを連れて専門の先生のところへ行きました。

 その時にゆーたろが、お医者さんに「ボクはクラスの中で浮いていると思う。」とだけ言ったと聞かされました。
 これがものすごく私にはショックでした。

 いつも明るくおちゃらけているゆーたろが、実はそう思っていたのかと思うとなんでもっと早くに気づけなかったのか、親として失格だなと思ったのです。
 お菓子の過食、学校にちゃんといけてないのは「2次障害」といって、もともとの障害からくる「生きづらさ」からくるものですと言われました。

 診断がついて、「ゆーたろが悪かったわけじゃなかったんだ。」という思い、そして「私の育て方が悪かったわけじゃないんだ。」という思いはありがたいものでした。
 でも、これからどうしていけばいいんだ?と先への不安がものすごくありました。

 方々調べて、そしてなんとか辿り着いたのがK先生のところでした。

 K先生は、一般的なカウンセリングの方とは違い、私の話を淡々とは聞いてくれません。
 ただただ、

 「ゆーたろくんはすごくいい子です。ボクはまた会いたいです。」と言ってくれました。

 そして、

 「お母さん、もう過去のことはいいでしょう。
 ゆーたろくんはすっごくいい子です。いいところをいっぱいみつけてあげてください。
 今日から毎日ゆーたろくんをほめてあげてください。」と言うのです。

 出来ないこと、ダメだったことを注意してください、直してくださいと学校の先生から言われ続けてきた私には「え???」でした。
 「え?ほめていいんですか。可愛い可愛いゆーたろをいっぱほめていいんですか?先生、怒らないですか?」と思いました。

 とっても可愛いわが子を、周りの意見のせいでずっと厳しくしてきたんです。
 ほめていいと言われて私はすごく嬉しく思いました。
 もっと難しいことを言われると思ったからです。

 そして、K先生は

 「ゆーたろくんのような子はずっと否定ばかりされてきました。
 何かあると全部ゆーたろくんのせいにされてきました。
 だからもう過去のこと、失敗してきたこと、それはもういいじゃないですか。
 これからはゆーたろ君に自信回復をさせていきましょう。」と言いました。

 そうだよな、なんでもゆーたろのせいだったよな。
 そうじゃなかたっとしても、だからごめんと言われるわけではなく「そう思われるお前が悪いんだ」と納得させられてきたよな・・・と。

 このK先生の「ほめましょう作戦」で劇的にゆーたろの2次障害は良くなりました。
 高校ではいつも先生と私が裏で色々打ち合わせし、出来ないことを無理にさせようということはせず、出来ることを伸ばすようにとさせてもらいました。
 本当に本当に適応のいい3年間を過ごせ、おかげさまで大学にも合格出来たのです。


 ここまでがざっとになりますが、ゆーたろが診断がつくまでの話です。
 もっといっぱい色んなことがありましたが・・・。
 
 ゆーたろのような子は診断というものがつかなければ、ただのわがまま、変わり者、勝手な奴、空気が読めない奴で片付けられてしまいます。 
 ハッキリ言えば集団の中では誤解されて嫌われるのです。
 今、精神科の入院患者さんの中で「未診断」だけど発達障害を疑う患者さんはものすごく多いそうです。
 発達障害を抱え、周囲から理解されず2次障害はすすんでいくと、「うつ病」などの精神疾患、自傷行為などにつながっていき、ますます理解を得られなくなるのです。
 もっともっと発達障害を知っている精神科医が必要でもあるし、診断出来る先生も必要だとすごく思います。

 ゆーたろはとっても普段は明るい子です。
 人の悪口を言うこともなければ、何かあっても人のせいにもしません。
 いつもニコニコ笑顔です。
 
 でもK先生には、

 「お母さん、ゆーたろ君はそうしないと生きてこれなかったんですよ。
 否定・誹謗中傷・誤解ばかりだったから、明るく笑ってないとやってられなかったんですよ。
 人のせいにしても信じてもらえない、いつも自分が疑われる、そういう中で笑っていないと生きてこれなかったんですよ。明るいからいいじゃないんですよ。」と言われました。

 発達障害とはそういうことなんです(泣)


 ちゃんと診断がつき、理解と支援がなければ「自分らしく」、「自己実現」に向けて生きていくのがとっても難しいのです。
 そして、「普通」になることは絶対にないのです。

 それを私は今もまだ、学び中です。

 以前、親の会にも入りました。
 もっと発達障害を知ってもらいたいと頑張ってもみました。 
 でも啓蒙活動はすごく難しくもあります。

 今はブログを通して発信することで、ちょっとでも「発達障害」という言葉を多くの方に知ってもらえたらいいかな・・・と思っています。

 たくさんメールをくださった方へ感謝の気持ちを込めて、書いてみました。


 長い長い文章を読んでくださって、ありがとうございます♪
 
 
 
by best-bplace | 2010-06-02 18:46