2011年 03月 21日
本当はどうなんだろう?
ブログをいつもの”みみちゃんブログ”に戻しました。
ニュースを見ていて思うこと、感じることはあるけれど、発信することは時に怖いことにもなりかねないので書きたいことがあっても書いてないことたくさんあります。
でも今日はどうしても書いておきたいので書きます。
それは原発の問題についてです。
毎回、政府の会見、東電さんの会見を見てイラっとするのは、地元で非難している人の気持ちに寄り添ってないと感じること。
後手にまわって、結局は「ごめんなさい」という結果になることばかりだったこと。
最近は、「冷却をして正常になったあと、その原発はどうするの?」ということに対して明確な会見がないこと。
事故につながる要因がきえたあと、しっかりと廃炉にしてくれるのかな?ということ。
そして、必ず会見では「人体にただちに被害はない」といういい方をするけど、国民の不安・不満に全くそれではこたえていることにはなっていないと感じます。
”放射能”と聞くだけで一般の人は”怖い”というイメージを持ちますよね?
ただ「大丈夫!」と言われても安心出来ないのは私だけはないと思います。
そんなことを悶々と考えている中、今朝の地元の新聞にとても驚きました。
内容を引用します。
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たくさんの人が避難している中、自分の身の危険を感じながら取材に立ち向かったジャーナリスト・豊田直巳さんの記事。
最前線・福島原発の町で
高濃度汚染 思わず「怖い」
東日本大震災が福島第一原発を襲ったのは、私が事故発生から25年目のチェルノブイリ原発取材を終えて帰国した直後だった。チェルノブイリでの取材体験から日本がのっぴきならない事態に陥る可能性を直感、「まさか日本で原発事故取材に出掛けるとは」と思いつつ、3月12日に福島県郡山市に入った。
翌13日、日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)の仲間や写真誌「DAYS JAPAN」編集長の広河隆一さんと合流した。
検問や案内なく
福島第一原発のある双葉町は、13日時点で既に避難指示がでていた「原発から20㌔圏内」にあったが、入域制限したいるチェックポイントまでは行ってみようと国道288号線を東に向かった。すると、予想に反して双葉町まで行き着いてしまった。検問も避難指示の案内版もなかったのだ。
国道をまたぐJRの鉄橋が崩れ落ち、地震のすさまじさをみせつけていたが、人影はない。
毎時(以下同)20マイクロシーベルトまで測定可能な放射線測定器を取り出すと、アラーム音を発しながらみるみる数値は上がり限界値の19.99を表示した。測定が初めての仲間が「この数字はどのくらいのレベルなんですか」と防護マスクでくぐもった声で聞いた。「おおよそだけど、普段の東京の数百倍かな」と答える。既にかなりの高濃度汚染値に入り込んでいた。
車を町の中心部に向けて進めた。人けのない家が並ぶが、地震の被害はそれほど見られなかった。そこで、もう一台の100マイクロシーベルトまで表示する測定器を取り出すと、これも針が振り切れた。
この事実を行政当局に知らせようと、双葉町役場に直行したが、役場玄関の扉は閉ざされたまま。緊急連絡先などの張り紙もなかった。静まりかえった町に時々小鳥のさえずりが聞こえる。入院患者に被爆者が出たと報じられた双葉厚生病院に向かったが、ここも無人。玄関には患者を運び出したとみられるストレッチャーが何台も置かれ、脱出時の慌ただしさがうかがえた。地震で倒れた医療機器や診療器具が散乱。消毒薬の臭いが漂う。
チェルノ以上に
原発から約3㌔の同病院前でも測定器の針は100マイクロシーベールトで振り切り、上限に張り付いたまま。そこで1000マイクロシーベルト(1㍉シーベルト)まで測定できるガイガーカウンターをとりだしたが、これもガリガリと検知音を発し、瞬時に針が振り切れた。「信じられない。怖い。」私は思わず声に出していた。
放射性物質の違いなどにより同列に論じられないにしても、これまで取材した劣化ウラン弾で破壊されたイラクの戦車からも、今も人が住めないチェルノブイリ原発周辺でも計測したことない数値だった。
放射能汚染地帯の取材経験が一行の中で最も多い広河さんも信じられない様子。「これから子供をつくろうと思っている人は、車から降りない方がいいかもしれない」と真顔で言った。
地震の爪痕残る
放射能は風向きや地形によっても異なる。もう少し調べようと海岸に向かったが、病院から数百㍍行った所で津波に運ばれてきたがれきと地震で陥没した道路に行く手を阻まれた。放射能汚染に気を取られ、しばし忘れていたが、紛れもなくここは巨大地震と大津波の被災地でもあった。その被災地を五感では感知できない放射能が襲っている。
慌ただしく町中の取材を終え、汚染地帯を脱しようと急いで帰る途中、町方向に向かう軽トラックに出会う。車を止めて汚染状況を説明すると「避難所にいるんですが、牛を飼っているので餌やりに行かないと。だめですか」。私に許可を求めるような困った表情で年配の女性が聞いてきた。「長い時間はこの辺にいないほうがいいですよ。気を付けて下さい」。そうお願いするしかなかった。
町内の道路をまたぐアーチには「原子力 郷土の発展 豊かな未来」と標語が掲げられていた。しかし、現実には未来を奪いかねない放射能の脅威に町はさらされていた。
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現場を見ないとわからないこと、いっぱいありますよね。
ある記事には、屋内待機をしている方のところには当初、電気もガスも水道も止まっていたと書いてありましした。
だから広報車の屋内待機のアナウンス以外、テレビでどんな風に報道されているかがわからない状態の中で家から出れない生活を送っていたのだそうです。
不便を強いられ、恐怖と不安も持って家の中にいる間、会見では「ただちに人体に影響はない数値です」と涼しい顔で言われていたとわかったらとてもガッカリ、いえ、怒りでいっぱいになるかもしれません。
また、とても大切な方が原発で20年働いたことのある方からお話を伺う機会があったと教えてくださいました。
その方のHPがあるのですが、原発のこと、問題点、わかりやすく書かれています。
原発がどんなものか知ってほしい
http://www.iam-t.jp/HIRAI/index.html
平井憲夫さんのサイトです。
平井さんは今回事故が起きた福島の原発ではなく、北海道の泊原発のことをサイトで主にかかれています。
実はこの泊村、私の親が住んでいるところのすぐ近くなんです。
私は中学生の時の2年間をその場所で過ごしていました。
昔の記憶があいまいだったので調べてみると、運転開始:1989年6月22日、私がもうその場所を離れてからでした。
でも平井さんのサイトの中では、泊村のすぐ横にある共和町というところの中学生の女の子は「女子の間では話している。結婚しても怖くて子供を生めないよねって。白血病の子が生まれたら困る。」と友達同士の中で会話していることを紹介されています。
当時は2号機の運転が始まったあと。
「2台になって被爆は2倍」とその女の子は認識されたそうです。
2009年には3号機の運転も始まっています。
もう10年近く前のお話のようですが、この女の子は大人になって今、どうしているのでしょう?
また、福井県の敦賀で育った女性は東京で結婚が決まったものの、相手のご両親に原発のある町で育って人が子供を生んだら・・・という懸念の上で婚約を破棄されたということも掲載されています。
原発がその町、村に作られた時からそこに住む人達に対して差別が始まるのだそうです。
また、今回の原発事故で"風評被害”についても懸念されていますが、事実を伝えるとパニックになるのではなく、安易な安心を訴えられると人は疑い深くなり、根も葉もないうわさが広がり風評被害につながるのだとある方が言っていました。
きっとその通りなんですよね。
私は自分が中学生の時に過ごした村で原発について考えたことは一度もありませんでした。
事故が起きたら怖いだろうなと思ったぐらいです。
その反対にどんどん良くなっていく道路、村の中に出来る立派なミュージアム、無料のプール。
そういったものの方に目がいっていました。
でも単純に「ただより怖い物はない」のですよね。
プールが普段無料でも、いざ事故が起きたときには真っ先に放射能を浴びるかもしれない危険性。
その危険性と引き換えに、町興しに喜び、施設に喜び、電力会社の社員の数以上に増える人口に喜ぶ。
でも、今回のようなことが起きた時には一瞬で陸の孤島となってしまう。
怖いです、とっても。
近くのスーパーではきのこ類の販売に制限がかけられていたそうです。
ヨウ素の摂取が放射能に被爆する前の段階で予防効果があると専門家が言ったのでその影響できのこ類、海草類を買う人が増えたためだと思います。
でも、どんなにたくさん食べても、大きな事故が起きたらその努力も無駄になってしまいます。
もっと、一人の社会人として、原発は自分に関係ないと思わずに考えていくことがとても大切なのだと感じています。
一人で疑問をもち、問題を感じても無力ですがそれが集まっていけば何か大きな形になるかもしれません。
まずは知識をつけ、仲間を集め、出来ることを考えたい、そして多くの人の声をどこかに届けれるように努力したいなと思いました。
どこのどのような形で声を届けることが出来るかは全くわかりませんが、きっと何か手立てはあるでしょう。
疑問、不安、情報のある方はコメントでもメールでもいいので送ってください。
原発のこと、食品の安全性、海の安全性などに対して、mixiでコミュニティを作ろうかなとも考えています。
なにかアドバイスや知恵があれば私に伝えてください

子供と動物が安心して暮らせる世の中になりますように・・・
by best-bplace
| 2011-03-21 20:07
| best@place